便所掃除

                                     便 所 掃 除

                                                                               濱 口 國 雄  

  扉をあけます

 頭のしんまでくさくなります

 まともに見ることが出来ません

 神経までしびれる悲しいよごしかたです

 澄んだ夜明けの空気もくさくします

 掃除がいっぺんにいやになります

 むかつくようなババ糞がかけてあります

 どうして落着いてしてくれないのでしょう

 けつの穴でも曲がっているのでしょう

 それともよっぽどあわてたのでしょう

 おこったところで美しくなりません

 美しくするのが僕らの務めです

 美しい世の中も こんな処から出発するのでしょう

 くちびるを噛みしめ 戸のさんに足をかけます

 静かに水を流します

 ババ糞におそるおそる箒をあてます

 ポトン ポトン 便壺に落ちます

 ガス弾が 鼻の頭で破裂したほど苦しい空気が発散します 

  落とすたびに糞がはね上がって弱ります

 かわいた糞はなかなかとれません

 たわしに砂をつけます

 手を突き入れて磨きます

 汚水が顔にかかります

 くちびるにもつきます

 そんな事にかまっていられません

 ゴリゴリ美しくするのが目的です

 その手でエロ文 ぬりつけた糞も落とします

 大きな性器も落とします

 朝風が壺から顔をなぜ上げます

 心も糞になれて来ます

 水を流します

 心に しみた臭みを流すほど 流します

 雑巾でふきます

 キンカクシのうらまで丁寧にふきます

 社会悪をふきとる思いで力いっぱいふきます

 もう一度水をかけます

 雑巾で仕上げをいたします

 クレゾール液をまきます

 白い乳液から新鮮な一瞬が流れます

 静かな うれしい気持ちですわってみます

 朝の光が便器に反射します

 クレゾール液が 糞壺の中から七色の光で照らします

 便所を美しくする娘は

 美しい子供をうむ といった母を思い出します

 僕は男です

 美しい妻に会えるかも知れません

カテゴリー News

Y-21

~『泥流地帯』に生きる子どものリアル~(1)

三浦綾子が描く学校と、今
 ~『泥流地帯』に生きる子どものリアル~
 成跳中学高等学校教諭  濱村 愛先生

編集者 森下 辰衛先生
国立山口大文学部・同大大学院・九州女学院大助教授で、北海道・旭川に居を構えて、三浦 綾子記念館・特別研究員・三浦綾子読書会監修者です。
著作権のお許しをいただいております。
私(三浦)に、いかようにもお使いください。
三浦 綾子の名前だけ出してくださいでした。

 始業式のあいさつ。 私は、東京の私立中高一貫校で国語の教員をしています。
中学校の先生をしいているというと「 大変ねぇ」、と言われるのですが、私自身は毎日非常に楽しく教員生活を送っています 。
それは、生徒のおかげです。 私は、担任になると四月の始業式で必ず「何事にも一生懸命取り組むこと。勉強がすべてではない。
性格は良く、素直でいてほしい」、と話しています。
これまで、中学三年生を何度か卒業させました。
一貫校 なので卒業させた後も、授業を担当しますが、私は中学三年間を特別な期間、と考えて接しています。
礼儀や人としての心構えを確固たるものにしてほしいと思っているからです。真剣に取り組まないなら、最初からやらないほうが良い。
成績の良し悪しや外見で、他人を馬鹿にする人は良い人間関係は築けない。そんな私の言葉に対して、気持ちの良い返 事が返ってきたら、「返事がいいと幸せがくるよ」と言っています。
「 返事がいいと幸せがくる」。これは『銃口』の坂部久哉先生の言葉です。
坂部先生は小学校の先生ですが、中学校の教員である私が、中学生相手に「返事がいいと幸せがくるよ」と言っても、生徒は非常に嬉しそうな顔をし、「やったー」と言います。
私はそんな素直なところに子どもの魅力を感じています。
私が「何事にも一生懸命に取り組むこと。勉強だけがすべてではない。性格は良く、素直でいてほしい」と考えるようになったのは、これまでの教員経験はもちろん、『 泥流地帯』、の中のエピソードに影響を受けたからです。
成績を良くするか 、性格を良くするか。 『泥流地帯』は上富良野の開拓農家の兄弟、石村拓一、耕作の生き方と周りとの関わりを描いた小説です 。
拓一、耕作兄弟は、幼い頃に父親を喪い、母親とは離れて暮らし、祖父母と姉、妹の六人で、決して豊かとはいえない暮らしをしていました。
耕作は中学進学を勧められるほど優秀。自身も進学を希望しましたが、中学というのは現代の中学とは程遠く、受験をし、選ばれた人しか行けない学校で、お金もかかります。

Y-9

雪のアルバム(9)

三浦綾子の作品『雪のアルバム』
芦屋、神戸三浦綾子読書会
編集者 森下 辰衛先生
国立山口大文学部・同大大学院・九州女学院大助教授で、北海道・旭川に居を構えて、三浦 綾子記念館・特別研究員・三浦綾子読書会監修者です。
著作権のお許しをいただいております。
私(三浦)に、いかようにもお使いください。
三浦 綾子の名前だけ出してくださいでした。

清美は、聖書『詩篇第五十一篇』の言葉に出会います。
それは、大きな慰めでした。 わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください。
わたしは自分のとがを知っています。
わたしの罪はいつもわたしの前にあります。 見ょ、わたしは不義のなかに生まれました。 わたしの母は罪のぅちにわたしをみごもりました。 ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。
 わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。

(文、仮名遣いは「雪のアルバム」より) 三浦綾子の作品『雪のアルバム』は余韻を残し、終章を結びます。
『雪よりも雪よりも白くなしたまえきみの血潮にて(インマヌエル讃美歌三〇六)』。
私はこの本を最初に手にしたとき「雪(そそぎ)のアルバム」。と読みとりました。
雪と言う字は「洗いすすぐ」。という意味があり、「そそぐ」とも読めます。
本の奥付に「ゆき」とふりがながあり、作者は「雪(ゆき)」と読ませながら、文字の意味で深く、広く、高い雪(そそぎ)を、読者に感じ取らせようとしたのではないか、と感じました。
読み終えて、やはりこれは「そそぎ」のアルバムであった、との思いを強くしました。

Y-8

雪のアルバム(8)

三浦綾子の作品『雪のアルバム』
芦屋、神戸三浦綾子読書会
編集者 森下 辰衛先生
国立山口大文学部・同大大学院・九州女学院大助教授で、北海道・旭川に居を構えて、三浦 綾子記念館・特別研究員・三浦綾子読書会監修者です。
著作権のお許しをいただいております。
私(三浦)に、いかようにもお使いください。
三浦 綾子の名前だけ出してくださいでした。

『重荷を共に負おう』。と言ってくれる人がいる。
清美には大きな慰めであり、強力な励ましとなったのです。
アルバムのページはまだ続いています。
清美はケガをしてしまい、病院に運ばれ、それを偶然目撃していた章が入院中の清美を見舞いました。
「じゃあ章さんは私を許してくれていたのね」「許してほしいのは、ぼくの方だよ、お互いの重荷を負い合う相手は、ぼくにとって清美ちゃんなんだ」。
清美もこの言葉に励まされて生きてきたと打ち明けると、章は、「自分は教会に行っていて、キリストから赦しを受けている、赦された自分が、どうして人を責めつづけることができるだろうか」。と言う。
二月半ばの寒い雪の日、清美と章は喫茶店で、温かいコーヒーを飲んでいます。
世の中は寒くても、体の中に熱いものが流れ込んできています。
清美は今までの自分の感情を全てあきらに話します。
章にもらった聖書を読み続け、神の愛が解ってきながら、それでも、こんな自分が、神に受け入れられるかと悩んでいることも。
章は言う、
「そうした、どうにもならない人間の存在のために、キリストがその罪を背負って、代わりに死んでくださったのだよ」。
清美は(そのままでいいのだよ)という、あたたかい神の声を、この寒い雪の日に聞き、神の救いを信じたのです。
その夜、清美は夢を見ました。あの、叔母の沙織が、きれいな花園でひとり、歌を歌っている夢でした。
果てしなく続く美しい花畑に、歌声が流れます。

かみさまはのきの子すずめまで。
やさしく いつもまもりたもう。
小さいものをもめぐみたもう。

が思わず駆け寄ろぅとしたとき、叔母の姿は消え、すずめが二羽、眩しい光輝く空に飛んで行きました。
二羽の すずめと輝く光、清純に神の下に生きた沙織が、神様の光の中に清美と章を導いていく姿ではないでしょうか。これは夢でしょぅか。
作者三浦綾子が、作中の二人に贈る祝福のアルバムのーページとも感じます。
この作品のバッググラゥンドには、小さなすずめの存在が流れています。
聖書には『二羽のすずめは一アサリオンで売っている』
と記す。(マタィ十章二十九節)。当時の最少単位の銅貨程度の価値の扱いです。
神様は、とるに足らない扱いのすずめだから、尚さら、優しく愛しておられるのだと、
確信するまでに清美の心は変えられていったのです。

Y-7

雪のアルバム(7)

三浦綾子の作品『雪のアルバム』
芦屋、神戸三浦綾子読書会
編集者 森下 辰衛先生
国立山口大文学部・同大大学院・九州女学院大助教授で、北海道・旭川に居を構えて、三浦 綾子記念館・特別研究員・三浦綾子読書会監修者です。
著作権のお許しをいただいております。
私(三浦)に、いかようにもお使いください。
三浦 綾子の名前だけ出してくださいでした。

清美は、さり気なく、庭に木立のある豪壮な邸宅に向かいます。
パーティが進むなか、遅れて、あの加奈崎が入ってくると、 「パパ、浜野清美さんよ」
と、野理子が得意そうに清美を紹介すると、「えっ?浜野清美?」
加奈崎の目が驚きに見開かれ、口はぽかんと開いたまま。清美の目はじっと加奈崎に強く注がれる。
一瞬であれ、驚愕の表情を見せたことに清美は満足する。
パーティ—が終わって、清美と一緒に加奈崎邸を出た章が、「君は、ぼくにとって、誰よりも大事な人なんだ。
だから聞くんだ。清美ちゃんはいつか、お母さんの話をしただろう。
ぼくは、そんなお母さんを持っている君の不幸を、共に担おうと思っていた。
一生負い続けなければならないその重荷を、ぼくも負いたいと思っていた。
君は、お母さんの相手が、野理子の父親だと知っていたんだね。 そして、君は、あの家に乗り込んだんだね」
乗り込んだ、といぅ言葉が清美の胸に刺さります。
「そんな君はぼくは嫌いだ。そんな恐ろしい君は嫌いだ」。
さようなら、の言葉を残して清美に背を向け、暗くなった夜の道を、章は走り去ってしまいます。 暗闇のなかに一人たたずむ清美の姿があります。 アルバムは、暗い闇の中でさまよう清美を映していきます。
「さょぅなら」、の言葉を残して、章が去って数か月、清美の高校生活は、魂の抜けたようなうつの時間でした。
高校を卒業した清美に、三月のある日、小さな郵便小包が届き、差出人の名前がない包みを開くと、小型の黒い表紙の新約聖書が出てくる。
表紙を開いてみると、そこをもくげきしていた章が入院中の清美を見舞いました。
こよ、『心の清い人は幸いである。その人は神を見るであろう』と、書かれていました。
清い、は清美の名前でもある。清美は直感的に、(章からだ)と思う。 章は見捨てて去ったのではない、と確信し、喜びがわいてきます。
清美は告白します。
『一本の素枯れたくさ、その草が青く耑耑とした、うるおいのある野の草に変って行ったのです』。
愛は奇跡を生むものなのですね。 聖書を開き進めていくと、『互いに重荷を負い合いなさい』という言葉に朱の線が引かれており、 それは、清美の心に食い込むようにありました。 (あの人は赦していてくれた)と、いう喜びに包まれ、(この聖書と共に生きて行こう)と、決めました。

Y-6

雪のアルバム(6)

三浦綾子の作品『雪のアルバム』
芦屋、神戸三浦綾子読書会
編集者 森下 辰衛先生
国立山口大文学部・同大大学院・九州女学院大助教授で、北海道・旭川に居を構えて、三浦 綾子記念館・特別研究員・三浦綾子読書会監修者です。
著作権のお許しをいただいております。
私(三浦)に、いかようにもお使いください。
三浦 綾子の名前だけ出してくださいでした。

次の日、清美は初めて、姿ハルという人に会う。
洋服の差出人の名前でした。 あのやさしい叔母、沙織のことを聞く。
「沙織さんのような人は、本当にこの世に二人とはおりませんよ。
あんなに美しい人でしたから、縁談は降るようにありました。
それどころか、沙織さんには心から好きな人もいたのです。
その好きな人をさえもあきらめた沙織さん。周りの人も心を痛めました」。
姿ハルは清美の母に、「沙織さんは何と言ったと思います? わたしは、兄の罪を万分の一でも償いたいの。 わたしが独身で通すことで、あなたと清美ちゃんにお詫びをしたいの。 そんなことでお詫びになるとは思えないけれど、わたしは、そう、神様の前で誓ったのって、涙をこぼされました」。
姿ハルは泣いていました。
自分の兄が妻のある身で、他の女性に子どもを産ませた罪を、兄に代わって自分が背負おうとした清美の叔母、沙織。
初めて叔母とも知らずに会った、あの祭りの日、家の近くの草原に、ひとりぼっちで遊んでいた幼い清美を連れて行き、 ひしと抱きしめて、ほろほろと涙をこぼした叔母は、どんな思いで抱きしめたのか、涙をこぼしたのか、 それは深い愛であったことが、清美にもよくわかりました。
『あなたのお父さんをゆるしてね』。
ざんげの思いがこもった愛だったことも。
そして、清美への何よりの贈物は、素晴らしい神の愛を伝えることだと、叔母は思ったにちがいない。
それが、あの歌であったのだ、と。

アルバムのぺージは移ります。
一方では、清美の高校生としての生活では、あの章との爽やかな関係が続いている様子が収まっています。
同じ一年生で、同じ美術部にいて清美を慕っている野理子がいる。素直な明るい子で、苗字は加奈崎といぅ。
その父は加奈崎盛夫。
野理子の父こそ、清美の小学生の頃、母のもとによく通っていて、一時は父と呼ばされ、清美は父のいない淋しさから、よく甘えていた。
やさしいところがあったが、ある夜、清美の母のいない夜に来て、生涯、清美が拭い去ることのできない行為で、心に大きな傷を残した張本人でした。
さすがにそのことは章にも言いだせない。 いつか復讐しようとしている。当然ではないか、と。
ある日、清美は野理子の誕生パーティに招かれます。
野理子の兄と友人関係の章も来るということでした。 (あの加奈崎も一緒なのか)

Y-5

雪のアルバム(5)

三浦綾子の作品『雪のアルバム』
芦屋、神戸三浦綾子読書会
編集者 森下 辰衛先生
国立山口大文学部・同大大学院・九州女学院大助教授で、北海道・旭川に居を構えて、三浦 綾子記念館・特別研究員・三浦綾子読書会監修者です。
著作権のお許しをいただいております。
私(三浦)に、いかようにもお使いください。
三浦 綾子の名前だけ出してくださいでした。

妻がありながら、若い女性に子供を産ませた、兄に代わって清美の母に詫び、兄の犯した罪を自分が身代わりとなって、責任を持ってその子を育てたいと申し出た行為。
兄の罪が、厳格な両親の知るところとなったとき、間に入って兄の罪の許しを執りもったた姿や、やさしい姿と心のこもった声で、大切な歌を清美におしえてくれ、喜びと希望を持たせ、 はらはらと涙をこぼして抱きしめた姿。
必要な服を、ぴったりと身に合わせて、遅れることなく、速達で与えて、水の色をもって清美のすさみかけた全身と心を包み、喜びに変えてくれた。
叔母、船戸沙織。
その一つひとつ、同じ三十三歳まで、地上で人類になされたあの、イエスキリストの雛型として、女性の姿に代えて、
物語の作者三浦綾子は、作品の中心に据えたと読み取ることができます。
アルバムには、中学生になった清美の生活が現れます。
中学校のすぐ近く、帰り道にある小川にかかる狭い木の橋。白い春の雲が、川面をゆっくりと流れている。
そこで、思いがけなく小学校の時、どろぼう扱いされた、清美をかばってくれた、あの章と出会う。
章は中学三年になっていました。
心の中に焼き付いていたあたたかい目で、章は照れ臭そうに通り過ぎて行ってしまう。
「永遠に輝く白きそそぎの詩。
川辺には、忘れな草の花が、やさしく風にゆれています。
そうしたある日、学校から帰ると、血相を変えている母に、
 「さあ札幌に行くのよJ。 と、うわずった声でせかされる。
 「札幌へ?」。
「あんたのお父さんが、悪いんだって」
 「私のお父さん?」
 清美の父ではあっても、母には愛する夫とは呼べないその胸中には、計り難いものがあった。
愛には時として厳しさを求められます。
小学五年生の時に、一度会ったきりの、あの父、抱き続けてきた面影。
父として、娘として、会う日が必ずあると信じていた清美でした。
「くもまっか出血だって、手術の最中で、命の保証はできないんだって」
札幌行きの最終急行に間に合う。
母は顏にハンカチを当てたまま嗚咽し続ける。
ハンカチは涙で、ぐしゃぐしゃです。 清美は、母の父への変わることのない、滴る程の愛を感じました。
病院に着くと、父は手術中、どんなことがあっても、父には生きていてほしいと、切実な思いが湧いてくる。
死ぬかもしれない、父のそばにいて、清美は父を身近に感じたのです。

Y-4

雪のアルバム(4)

三浦綾子の作品『雪のアルバム』
芦屋、神戸三浦綾子読書会
編集者 森下 辰衛先生
国立山口大文学部・同大大学院・九州女学院大助教授で、北海道・旭川に居を構えて、三浦 綾子記念館・特別研究員・三浦綾子読書会監修者です。
著作権のお許しをいただいております。
私(三浦)に、いかようにもお使いください。
三浦 綾子の名前だけ出してくださいでした。

清美は、はっとして息を止めます。
かみさまはのきの小すずのまで…
清美を抱きしめて、はらはらと涙をこぼし、きれいな声で繰り返し、繰り返し、あの歌ってくれた、女の人の、実に美しい立ち姿がそこにあったのです。
「小母さん」、清美の声に、「まあ!清美ちゃん!」 この人は、なぜ私の名前を知っていたのか、確か、最初に会った五歳の時も清美の名前を呼んだのです。
「おめでとう。
とても上手な絵ね」と、忘れられない、あの優しい声でした。
清美は、小さい声でしたが、歌いました。
かみさまはのきの小すずめまで… 会うことがあったら、必ず歌おうと、心のなかに決めていたのです。
 「まあ!おぼえていてくれたのね」。
その人の目から、はらりと涙がこぼれました。
 アルバムが輝きを放つーページです。
そこに、母が近寄ってきて、「沙織さん、清美の服をありがとう」
 (この人が、私に服を贈ってくれた?)清美の胸は踊りました。
「よく似合ってよかったわ、今日着せてくださってありがとう。わたし、とてもうれしいわ」。
 「清美ちゃん、また、会いましょうね。お元気でね。また、いい絵を描いてね。歌も聞かせてね」。 言葉の一つ一つ、に思いをこめるように言ってくれます。 「小母さん、服ありがとう」。 清美は胸がつまって、言葉が続きません。
(別れたくない)。
そんな清美の顔を、小母さんの優しい瞳がじっと見つめます。
これが、地上での永遠の別れとなりました。 絵を見た小母さんは、そのデパートを出たところで、青信号の交差点を渡っているときに、無謀運転の若者の車にはねられたのです。
あの人は死んでしまった。 私の絵を見るために、私に会いに来てくれたのに。
母から聞いた叔母の言葉が、胸に広がります。
 清美の実の叔母、船戸沙織、33歳でした。
清美は、大好きな近くの野原の草むらに、小さなお墓を造りました。
お墓の中には清美が心を込めて描いた、あの人の絵姿が入れてあります。
野の雪も消えて、若草が青く萌えでる頃で、清美は淋しくなると、そこに行って、よく歌いました。
かみさまは、のきの小すずめまで・・・
小さなお墓を造って、心をこめて描いた絵姿をしのばせたとき、 『野の雪も消えて、若草が青く萌え出る頃』と作者は綴る。
人々に復活の希望を与える場面を意識した、作者の筆の運びが、訴えるものを受け止めましょう。

Y-3

雪のアルバム(3 )

三浦綾子の作品『雪のアルバム』
芦屋、神戸三浦綾子読書会
編集者 森下 辰衛先生
国立山口大文学部・同大大学院・九州女学院大助教授で、北海道・旭川に居を構えて、三浦 綾子記念館・特別研究員・三浦綾子読書会監修者です。
著作権のお許しをいただいております。
私(三浦)に、いかようにもお使いください。
三浦 綾子の名前だけ出してくださいでした。

「また、花の絵か、血は争えないもんだね」。 アルバムの中で、非常に大きな意味を持つことになる言葉です。
 清美の絵の才能は開花していきました。
 ついに五年生のクリスマス、旭川市の小学校の代表として、「金賞」をとの紹介がありました。
 受けた絵が、北海道全域の展覧会に、出品されることとなったのです。その結果、北海道一に選ばれました。
 普段、あまり関心のない母も、これには大変喜んで、「これはどうしても、札幌まで展覧会を見に行かなければねえ」。
奮発して着物を新調したりしますが、でも当事者である清美の着る物のことは、思いつかないまま、日にちが迫ってきます。
 母もそのことに気付いて、日曜日の朝、清美のセーターでも買いに行くことになり、出かけよぅとしたとき、書留速達で郵便小包が届いたのです。
 開けてみると、清美用の洋服、水色のワンピースが出てきました。
 送り主は清美の知らない人の名前でしたが、その洋服は清美の体にピッタリと合った、センスのいい仕立てで、清美が今まで着たどの服よりもよく似合いました。
 鏡のなかの、自分の姿に見ほれる清美。体全体を包んだ「水色」が清美の心をも変えていったと、感じることができます。
 清美と母は、札幌での授賞式に臨みます。
知事代理や市長に次いで、お祝いの言葉を述べる羽織袴の男の人は、生け花の世界では北海道でも名前の知られている先生との紹介がありました。
「美しいものが解らなければ、本当の人間になることはできません」。
 静かな声と共に、温かい、優しい目が清美に注がれ、清美もしたわしい気持ちで、じつとその人を見つめていました。
 授賞式の後のお茶とケーキのパーティの場で、その男の人は清美に近づいてきて、 「おめでとう、いい絵だったね」。 と、話しかけます。
 心地ょい声と優しい話し方をする男の人に、清美の心は打たれました。
「花は好きかね」、その人に聞かれ、 「大好きです」。
清美が少し固くなって答えると、 「水色がょく似合ぅんだね」、と微笑み、清美の母には、 「いいお子さんですね」、
と声をかけましたが、母はじっと床に視線を落とし、返事もしません。
「じゃあ、またいい絵を見せてほしいな。元気でねと、離れて行くのでした。
「絵を見に行こうよ、絵を」と、母が言い、会場に戻ると、中央に飾られた絵の前は、大勢の親子づれが立ち止まって見ていました。

Y-2

雪のアルバム(2)

三浦綾子の作品『雪のアルバム』
芦屋、神戸三浦綾子読書会
編集者 森下 辰衛先生
国立山口大文学部・同大大学院・九州女学院大助教授で、北海道・旭川に居を構えて、三浦 綾子記念館・特別研究員・三浦綾子読書会監修者です。
著作権のお許しをいただいております。
私(三浦)に、いかようにもお使いください。
三浦 綾子の名前だけ出してくださいでした。

その時、どんな話をしたか、どれくらいの時間だったかおぼえていないけれど、その人が、「あのね、清美ちゃん、いい歌を教えてあげるわね。
 おぼえてくれる?」 清美はうなづき、本当にその人が好きになったと告白しています。
優しい美しい声で、その人は、幾度も幾度も歌ってくれました。

かみさまは のきのすすめまで
おやさしく いつもまもりたもう
小さいものをも めぐみたもう
小さいものをも めぐみたもう

 清美もその歌を歌うと、その人はうれしそうに聞いてくれて、白いハンドバッグから千円札を出し、ちり紙に包んで、お祭りのお小遣いよ」、
と清美の手に握らせて、その人は帰って行きました。
幾度も幾度も振り返りながら。
うれしさのあまり、清美はもらった千円札をひらひらさせながら走って帰る途中、近所の女の子と出会います。
自慢げに、千円札をひらひらさせてみせると女の子は、「それ、どこでひろったの」、と言い、「ひろったんじゃない、よその小母さんにもらったの」。
「よそのひとが千円もくれる?」、と疑われ、ついには、店屋から盗んできたにちがいないと言いだし、清美の家までついて来て、
「小母さん、清美ちゃんがみせから千円とったよ」、と大声で叫んだのです。
子ども仲間から「どろぼぅ」扱いにされ、仲間外れにされてしまぅ。
 子どもたちから離れ、一人ぼっちで遊ぶつらさ。それも毎日、来る日も来る日も。
そんなある日、ひとりの男の子が、札幌から夏休みでいじめっ子の家にやってきました。
名前は章。
いじめる子どもたちの中心的役割の女の子とは、わけありの義理の兄、その章が、清美から当時の話を詳しく聞いた後で、言いました。
「この子はどろぼうじゃない」。
 誰か、この子がどろぼうしたところを見たのかと、子どもたちに迫り、清美の悲しく、苦しい心を解放したのです。
 やさしく抱きしめて、あの歌を教えてくれた美しい小母さん、そして章。
二人の住む札幌は清美にとって特別の地となった。
この二人との出会いが、清美が二十三歳になるまでの年月、その間、大きな存在となってさまざまな場面に登場する『雪のアルバム』。
 そのアルバムのぺージのあちこちに、清らかな輝きを放ちます。
 清美の人生の「足の灯」となり「希望の光」となって導いていきます。
清美は四年生の頃から花の絵を描くようになっています。 母は言います。

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