主人公は「私」、もぅすぐ二十三歳になる浜野清美。
北海道、旭川、そして札幌を主なステージに、五歳の頃から生きてきた日々の時間が、読者の目の前に展開されます。
「清い」と「美しい」という名前を恥ずかしいと感じ、親を憎みさえする感情を持って、自分を見つめてきました。
その名前を付けてくれたかもしれない、父の顔を清美は知らない。母と二人での生活。
母には何人かの男の友人がいて、かわるがわるやって来ます。 そのたびに母から、「いいと言うまでおもてで遊んでるんだよ」。
と百円を渡され、表に出されます。
晴れた日はまだいいが、雨の日も風の強い日も、凍るような寒い日でも、(死んでしまいたいような淋しさ) を、近所の人の好奇の目を受けながら耐える。
まだ、小学生にもならない女の子の、耐え難い体験です。
清美が五歳の時の六月、旭川のお祭りの日。家の前にも花笠が高くつるされて、浮き立つような風景があります。
でも、その日も母に言われて、表に出され、淋しさを紛らわすために、独りで地面に絵を描いては消し、また描いたりしていたとき、気が付くと、
いつのまにかうしろに女の人が立っていました。
「アルバム」が輝きを見せる場面です。
このページがなければ、清美のそれからの人生は、全く違った色彩のなかであえぎ、希望をさえ見いだせないものであったことでしょう。
その女の人は、品のいい顔立ちをほころばせて、「あなた、清美ちゃんね」。 見ず知らずの人から、「清美ちゃん」と呼ばれて、びっくりします。
どうして名前を知っていたのか。
「清美ちゃん、小母さんと一緒に、ちょっとその辺まで行ってみない?」
清美はためらわずに、「うんと、答えました。
「小母さんどこの人」と、たずねると、「小母さんね、札幌からきたの」。
二人が家の近くの清美の大好きな草原まで来たとき、その人が清美をひしと、抱きしめて、はらはらと涙をこぼしたのです。