雪のアルバム(4)

三浦綾子の作品『雪のアルバム』
芦屋、神戸三浦綾子読書会
編集者 森下 辰衛先生
国立山口大文学部・同大大学院・九州女学院大助教授で、北海道・旭川に居を構えて、三浦 綾子記念館・特別研究員・三浦綾子読書会監修者です。
著作権のお許しをいただいております。
私(三浦)に、いかようにもお使いください。
三浦 綾子の名前だけ出してくださいでした。

清美は、はっとして息を止めます。
かみさまはのきの小すずのまで…
清美を抱きしめて、はらはらと涙をこぼし、きれいな声で繰り返し、繰り返し、あの歌ってくれた、女の人の、実に美しい立ち姿がそこにあったのです。
「小母さん」、清美の声に、「まあ!清美ちゃん!」 この人は、なぜ私の名前を知っていたのか、確か、最初に会った五歳の時も清美の名前を呼んだのです。
「おめでとう。
とても上手な絵ね」と、忘れられない、あの優しい声でした。
清美は、小さい声でしたが、歌いました。
かみさまはのきの小すずめまで… 会うことがあったら、必ず歌おうと、心のなかに決めていたのです。
 「まあ!おぼえていてくれたのね」。
その人の目から、はらりと涙がこぼれました。
 アルバムが輝きを放つーページです。
そこに、母が近寄ってきて、「沙織さん、清美の服をありがとう」
 (この人が、私に服を贈ってくれた?)清美の胸は踊りました。
「よく似合ってよかったわ、今日着せてくださってありがとう。わたし、とてもうれしいわ」。
 「清美ちゃん、また、会いましょうね。お元気でね。また、いい絵を描いてね。歌も聞かせてね」。 言葉の一つ一つ、に思いをこめるように言ってくれます。 「小母さん、服ありがとう」。 清美は胸がつまって、言葉が続きません。
(別れたくない)。
そんな清美の顔を、小母さんの優しい瞳がじっと見つめます。
これが、地上での永遠の別れとなりました。 絵を見た小母さんは、そのデパートを出たところで、青信号の交差点を渡っているときに、無謀運転の若者の車にはねられたのです。
あの人は死んでしまった。 私の絵を見るために、私に会いに来てくれたのに。
母から聞いた叔母の言葉が、胸に広がります。
 清美の実の叔母、船戸沙織、33歳でした。
清美は、大好きな近くの野原の草むらに、小さなお墓を造りました。
お墓の中には清美が心を込めて描いた、あの人の絵姿が入れてあります。
野の雪も消えて、若草が青く萌えでる頃で、清美は淋しくなると、そこに行って、よく歌いました。
かみさまは、のきの小すずめまで・・・
小さなお墓を造って、心をこめて描いた絵姿をしのばせたとき、 『野の雪も消えて、若草が青く萌え出る頃』と作者は綴る。
人々に復活の希望を与える場面を意識した、作者の筆の運びが、訴えるものを受け止めましょう。

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