清美は、聖書『詩篇第五十一篇』の言葉に出会います。
それは、大きな慰めでした。 わたしの不義をことごとく洗い去り、わたしの罪からわたしを清めてください。
わたしは自分のとがを知っています。
わたしの罪はいつもわたしの前にあります。 見ょ、わたしは不義のなかに生まれました。 わたしの母は罪のぅちにわたしをみごもりました。 ヒソプをもって、わたしを清めてください、わたしは清くなるでしょう。
わたしを洗ってください、わたしは雪よりも白くなるでしょう。
(文、仮名遣いは「雪のアルバム」より) 三浦綾子の作品『雪のアルバム』は余韻を残し、終章を結びます。
『雪よりも雪よりも白くなしたまえきみの血潮にて(インマヌエル讃美歌三〇六)』。
私はこの本を最初に手にしたとき「雪(そそぎ)のアルバム」。と読みとりました。
雪と言う字は「洗いすすぐ」。という意味があり、「そそぐ」とも読めます。
本の奥付に「ゆき」とふりがながあり、作者は「雪(ゆき)」と読ませながら、文字の意味で深く、広く、高い雪(そそぎ)を、読者に感じ取らせようとしたのではないか、と感じました。
読み終えて、やはりこれは「そそぎ」のアルバムであった、との思いを強くしました。