あなたは先進国?
現在でも能登に向かうボランティアは多い。しかし、圧倒的に足りていない。
そして私の住む町では、その現実さえほとんど伝えられていない。
東日本大震災のとき、全国から人々が会社を休み、スコップを手にし、
泥だらけになりながら「誰かのために」と駆けつけてくれた。
その人たちは「ありがとう」の一言に救われ、喜びを胸に各地へ帰っていった。
では、私たちはその恩にどう応えただろうか。
障がいを抱えた人々は、今もなお社会の周縁に置かれたままだ。
家庭の困難、支援団体の機能不全、行政の“保護政策”に依存した仕組み。
その結果、国連は日本に対し 93か条もの改善勧告 を突きつけた。
先進国を名乗りながら、社会の根幹である「人の尊厳」を数値で測り、
制度の都合を優先する姿勢は、もはや恥ずべき状況ではないか。
携帯を持てない人が増えているのに、公衆電話は消えた。
「持てない人」への配慮はなく、
古いiPhoneすら買えない家庭には“努力不足”という言葉が返ってくる。
スマホ教室に来ても、使えるのは電話だけ。
LINEもメールもできない。
情報格差はそのまま 生活格差 になり、
資本主義の貧富の差をさらに広げていく。
これは単なる経済の問題ではない。
「人を守る」という国家の役割が、企業利益の論理に飲み込まれているということだ。
■では、なぜ北欧やニュージーランドは違うのか
北欧諸国(スウェーデン・デンマーク・ノルウェー)やニュージーランドは、
日本と同じ先進国でありながら、根本思想がまったく異なる。
■人権を最優先に置く「人間中心モデル」
制度の出発点が「人がどう生きたいか」であり、
行政はその実現のために存在する。
■福祉は“コスト”ではなく“投資”
弱い立場の人を支えることは、
社会全体の安定と成長につながるという考え方。
■情報アクセスは“権利”
デジタル弱者にはスマホを無償提供し、
通信費も国が負担する国すらある。
「使えない人が悪い」のではなく、
「使える環境を整えない社会が悪い」という発想。
■ボランティアは“善意”ではなく“社会の一部”
災害時の支援は制度として組み込まれ、
個人の善意に依存しない。
●まとめ:日本は何を失い、何を取り戻すべきか
日本は、
「努力すれば報われる」
「自分のことは自分で」
という美徳を大切にしてきた。
しかしその裏で、
“努力できない状況にある人”を切り捨てる社会になってしまった。
北欧やニュージーランドが示すのは、
「人を大切にする社会は、結果として強くなる」
という当たり前の真理だ。
今、日本に必要なのは、
制度の都合ではなく、
企業利益でもなく、
人の尊厳を中心に据えた社会への転換だと思う。