代表挨拶
私がこれまで歩んできた人生と、支援に込めた想いをお伝えします。
塩竃潮さいの支援の原点となる経験を、ここに記しました。
私は気仙沼で生まれ、幼い頃から身体が弱く、
「小学生まで生きられないかもしれない」と言われた時期もありました。
それでも、家族や周りの方々に支えられ、今日まで歩んでくることができました。
中学校を卒業した昭和38年からの8年間、私は気仙沼の○○病院で雑役として働き、
患者さんの身の回りのお世話をする日々を過ごしました。
その経験は、私に「人を支えることの尊さ」を教えてくれました。
結婚し、二人の娘に恵まれてからは、家庭の事情で塩竈に移り、 □□□水産加工場で20年以上働きながら、娘たちを育てました。
冬の氷水のタンクかに手を入れるときは、”歯を食いしばり”かじかむ手をたたきながら魚を切ました。
決して楽な道ではありませんでしたが、 どんな時も「子どもたちを守りたい」という思いが私を支えてくれました。
今では娘たちも家庭を持ち、それぞれの幸せを歩んでいます。
その姿を見るたびに、これまでの苦労も喜びも、すべてが意味のある時間だったと感じます。
長い年月の中で、私は「人は誰かに支えられて生きている」ということを深く学びました。
そして今度は、私が誰かの力になりたい―― その思いが、この事業所を立ち上げる原点になっています。
塩竃潮さいでは、一人ひとりの人生に寄り添い、
その人が持つ力を信じ、共に歩む支援を大切にしています。
どんな背景があっても、どんな歩みでも、
「あなたは大切な存在です」と伝えられる場所でありたいと願っています。
「小学生まで生きられないかもしれない」と言われた時期もありました。
それでも、家族や周りの方々に支えられ、今日まで歩んでくることができました。
中学校を卒業した昭和38年からの8年間、私は気仙沼の○○病院で雑役として働き、
患者さんの身の回りのお世話をする日々を過ごしました。
その経験は、私に「人を支えることの尊さ」を教えてくれました。
結婚し、二人の娘に恵まれてからは、家庭の事情で塩竈に移り、 □□□水産加工場で20年以上働きながら、娘たちを育てました。
冬の氷水のタンクかに手を入れるときは、”歯を食いしばり”かじかむ手をたたきながら魚を切ました。
決して楽な道ではありませんでしたが、 どんな時も「子どもたちを守りたい」という思いが私を支えてくれました。
今では娘たちも家庭を持ち、それぞれの幸せを歩んでいます。
その姿を見るたびに、これまでの苦労も喜びも、すべてが意味のある時間だったと感じます。
長い年月の中で、私は「人は誰かに支えられて生きている」ということを深く学びました。
そして今度は、私が誰かの力になりたい―― その思いが、この事業所を立ち上げる原点になっています。
塩竃潮さいでは、一人ひとりの人生に寄り添い、
その人が持つ力を信じ、共に歩む支援を大切にしています。
どんな背景があっても、どんな歩みでも、
「あなたは大切な存在です」と伝えられる場所でありたいと願っています。